【2024注目の逸材】
かわまた・しゅうが川又崇雅
[栃木/6年]
もうか真岡クラブ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、三塁手
【主な打順】五番
【投打】右投右打
【身長体重】155㎝53㎏
【好きなプロ野球選手】今永昇太(カブス)
※2024年9月1日現在
「来年は平均で100㎞以上を投げられるように。将来は人類を超える200㎞を出したいです!」
屈託もなく話したのは昨年の秋、新人戦で栃木大会を制したときだった。16時半に始まった県決勝戦。先発した背番号1の川又崇雅は、初回に先制ソロを許すも、5回2失点とゲームをつくって優勝に貢献した(リポート➡こちら )。
2023年10月28日、県決勝。真岡クラブは12対2で勝利して初優勝。5回2失点の川又は最終6回はマスクをかぶって歓喜の瞬間を迎えた(下)
その日の投球で際立ったのは、ほぼ一本槍のストレートだった。ナイター照明の視覚効果もあったかもしれないが、川又の指先を離れた白球は糸を引くように伸びていた。スローボールを必要としない内容で、2回から4回までは無安打。5回には不運な当たりや失策絡みで1失点も、制球は乱れず。最後は二死二、三塁のピンチを切り抜け、お役御免となった。
この夜、もうひとつ驚いたのは、当時5年生の川又が夢をこう語ったことだった。
「将来はプロ野球選手になりたいけど、そこまで無理をせず、しっかりと自分が進んでいきたい人生を進むことです」
後から両親や指揮官にも確認したが、誰かの入れ知恵ではない。当時は単純にそう考えていたという。そんなエースを勝田隆志監督(=上写真)は「素直で、野球が大好きな純粋な子」と、まずは評した。
「去年(2023年度)は6年生が1人しかいなくて、川又は地肩が強かったので5年生から1年間、中心に投げてきました。新チームになって、勝負どころで抑えてくれる、信頼して任せられるピッチャーになってきたと思います」
野球一色の日々に変化
川又は長男で、下に妹が2人。3年生の長女・百華も、真岡クラブでプレーしている。近所に住む母方の祖父・石塚哲男さんが大の野球好き。孫の川又は幼いころから、一緒に庭でキャッチボールをしたり、プラスチックのバットで打たせてもらったりしてよく遊んだという。
「3年生のときに、お爺ちゃん家に行ったらテレビでプロ野球をやっていて、阿部慎之助(現・巨人監督)がめっちゃ活躍していて、自分も野球やりたい! となってチームに入りました」(川又)
下半身がやや遅れて回転、上半身との捻転差も利して右腕が力強く振られている
1年生、2年生と、学校の同じクラスにいた勝田透羽(現主将)から熱心に誘われていたこともある。幼稚園で体操クラブに入っていたという川又の身のこなしは、低学年生の中でも一目置かれていたのだろう。
両親は野球とは無縁だったが、今ではすっかり応援にサポートに野球一色の週末。父・崇幸さんは自主練もサポートする一方で、野球については息子に一切の口出しをしていないという。
「本人が自分からやり出したことなので、親からはあれこれ言わないし、言ったこともないです。オマエ(息子)の野球なんだから、オマエが責任を持ってしっかりやれよ、というスタンスですね」
平日も月曜以外はチーム練習がある。川又はさらに、毎朝の素振りを日課としている。夜にはシャドーピッチングをすることもあり、月曜日は父の帰宅を待って打撃練習に励む。
春休み中の東日本交流大会は、ベンチで懸命に仲間を鼓舞した
そんな日々が急変したのは、6年生になる前のことだった。時折り、右肘にピリッとした痛みが走るようになり、病院で検査をしたところ「野球肘」との診断で、ドクターストップが掛かってしまう。
3月末の春休みに始まった東日本交流大会。エースを欠いた真岡クラブは、関東王者の船橋フェニックス(東京)に2回戦で1対8のコールド負けを喫した。
川又は試合前のウォーミングアップは普通にこなし、キャッチボールから裏方役へ。試合中は戦況を追いつつ、下級生たちと仲間へ懸命に声掛けをしていた。
東日本交流大会の1回戦に代打で登場。思わず顔がほころんだ
「投げたいなと思いながら、試合を見て声を出していました。6年生のみんなが伸びてすごくなってきていたので、もっとやりたくなって、でも投げられないので平日はずっと走ってました」
そんな息子のもどかしい日々を、母・里華さんはこう振り返る。
「結局、1ヵ月くらいはノースローでした。毎回のレントゲン検査がドキドキで『いつから投げられるかなぁ』と。試合中はサポートに回っていたけど、他の子たちの活躍がうれしくもあり、どんどん抜かされていくような気持ちで焦りみたいなものもある感じでしたね。私からは『まだ間に合うよ、早い時期だったから逆に良かったね』と」
野球肘を招きやすい身体の左右のアンバランスや、肩・股関節の柔軟性には問題なし。ノースロー期間はランやスクワットで下半身強化した成果が、復帰後の球威と安定感に表れている
指揮官の頭がまた柔軟で、闇雲に勝利だけを求めるようなタイプでなかったことも幸いした。3月末の東日本交流大会の時点で、ドクターストップが解かれていた川又をあえて登板させなかった。勝田監督は当時、その理由をこう語っている。
「川又にとってもチームにとっても、今が大事な時期じゃないし、川又は大事な戦力だし、野球好きのままでいてほしい。今のこの苦しさも乗り越えて、頑張って成長してほしい」
川又は4月末からの大型連休で実戦のマウンドへ復帰。そしてまずは、GasOneカップの県大会優勝に貢献した。
「ケガを乗り越えたことで気持ちが強くなったというか、打たれちゃった! みたいな弱い気持ちがあまり出なくなった気がします。やっぱり試合が一番楽しい。強いチームに負けているときとか、良い勝負ができているときとか、ホントに最高です」
エース不在となった春以降、背丈とともに急成長している6年生が複数おり、川又の存在が以前ほど際立たなくなってきている。特に打線の破壊力は、恐ろしいほどだ。
最大目標としてきた全日本学童大会の県予選は準々決勝で敗退。全国スポーツ少年団軟式野球交流大会の県予選は決勝で涙。夏の2大メジャー大会への道は閉ざされたものの、県下の全125チームによる伝統の巨大トーナメント、夏の栃木大会は決勝(9月14日)まで駒を進めている。また今週末には、埼玉県でのGasOneカップ関東大会に出場する。
年末に全国ファイナルトーナメントがある、ポップアスリートカップの予選(自主対戦方式)も勝ち続けており、有終の美を飾るのはまだ当面先となりそうだ。
8月のウイングスカップ1回戦では東京・深川ジャイアンツに劇的なサヨナラ勝ち。先発して強力打線を3回まで1点に抑えた川又は、6回裏に同点ソロアーチを放っている(下)
川又は緩急の投球もマスターし、8月のローカル大会では最終回に同点のサク越えアーチ(※動画参照)を放つなど、打者としても進化を見せつつある。あらためて、夢を聞いてみると――。
「プロ野球選手になりたいけど、野球を教える人にもなってみたい」
今年に入ってから、野球の個人レッスンを定期的に受けている。必ずしもプレーヤーでなくても、大好きな野球に携わる仕事がある。これに気付き、興味が沸いているという。
小・中学生の1年は濃密と言われる。爆発的な成長もよくある。身体も球速も、川又にはまだその訪れはない。だが、無邪気だった昨秋より、ハートはひと回りもふた回りも大きく逞しくなっているようだ。そんな長男の未来に、最愛の母が寄せる願いとは――。
「自分の好きなことをやってほしいと思うし、周りの人たちを支えたり、支えられたりしながら、仲間の大切さを学んで、それを生かせるような人間関係を築いていってほしいなと思います。きっとそれで幸せになれる。野球でシバるつもりもないけど、自分のやりたいところまでやってほしいなとは思っています」(里華さん)
(動画&写真&文=大久保克哉)